§『こころ』に描かれた明治の知識人―先生・私・語り手の問題―

 平成7年度・8年度・9年度 公開講座集「文学の森」その2 平成10年12月15日発行

 〔編集発行 駒澤大学苫小牧短期大学〕 141~149㌻

中村道広
 夏目漱石『こころ』の先生は、なぜ自殺しなければならなかったのでしょうか。
 『こころ』は「上」・「中」・「下」の三部構成で出来ています。これまでは「下」の「先生と遺書」の読みだけが強調されてきました。『ここ ろ』という小説は、「私」という若い人物の語りと「私」の両親との対話、「先生と遺書」における先生自身の語りを総合的に読んでいく必要があります。先生 が遺書の中で述べた「明治の精神」と
いうのは、どのようなことを意味しているのでしょうか。さらに、『こころ』という小説において、明治の知識人とは何か、という問題を、先生・私・語り手の問題から考察します。
 『こころ』は、『東京朝日新聞』・『大阪朝日新聞』に大正三年四月から同年八月まで連載されました。合計すると、百十回になります。その時の 見出しの題名は、現在とは異なっておりました。最初に、「先生の遺書(1)」と書かれています。これは、幾つかの短篇小説を繋ぎ合わせるという構想から出 発したものでした。大正三年の三月三十日付山本松乃助宛の書簡で、漱石は「今度は短篇を幾つか書いてみたいと思います、その一つ一つには、違った名をつけ て行く積もりですが、豫告の侭全体の題が御入用かとも存じます故に『心』としておきます」と書いています。しかし、書いていくうちに意外に長くなり、「先 生と遺書」だけで、一遍の作品が出来上がってしまったのです。このようにして、『こころ』は成立しました。
 単行本『こころ』は、大正三年九月二十日岩波書店から漱石の装幀と私費で出すことになりました。これは、弟子の岩波茂雄による岩波書店の処女出版を援助しようとした好意からです。
 「私は其人を常に先生と呼んでゐた。」(「上」、岩波『漱石全集』第九巻、三ぺージ)これは、『こころ』の冒頭です。この様な語り口は、語り 手の「私」と読者の関係において親しい友人関係のように感じられます。つまり、先生という人物を、身近に感じさせる仕掛けとなっています。また、「広い蒼 い海、強い太陽の光、自由と歓喜に充ちた筋肉」(八ぺージ)とある様に、語り手である「私」の若さが強調され、さらに、若い私が先生から人生を教わろうと する仕掛けにも成っています。ここで重要なことは、先生との出会いから「私」が人生の恐ろしい真実に触れようとしていることが象徴的に示唆された箇所であ るといっても過言ではありません。そして先生は、「貴方は死という事実をまだ真面目に考えた事がありませんね。」(十四ぺージ)と私に対して、人生に対す る、真面目さを教えてくれました。それは、明治を生きた先生の真面目(純粋)な言葉でもあったのです。また、「死」という難しい疑問があったからこそ、テ クストに問掛けがあります。それでは、テクストの中で先生はどのような人物として、また、どのような考えを持っている人物として描かれているのでしょう か。
 「私は寂しい人間です」(二十ぺージ)とあるように、まだ暴かれぬ先生の孤独な人生観がここに表現されています。
 「先生は大学出身であつた」(三十ぺージ)とあります。「大学」とは東京帝国大学を意味してます。また、当時でいう知識人の姿がここに示され ているのです。さらに、「今著名になつている誰彼を捉へて、無遠慮な批評を加える」(三十ぺージ)とあるように、先生の学識の広さ、そして、地位を重んじ たくないという精神等が浮き彫りにされています。そのうえ、「罪悪」・「神聖」(三十八ぺージ)とあるように、先生が知識人として恋愛に対する、どの様な 考えを抱いているのかが示されています。特に「恋は罪悪です」と述べられる所は、重い意味を持っています。最も重要な点は、先生の恋愛に対する考えに、先 生の過去と明治という時代が隠されている事が分かります。
 それでは、何故、先生が恋を罪悪といったのでしょうか。それは、『こころ』の「下」つまり、手紙による先生の告白を読む事によって、謎が解ける仕組みになっています。これは、推理小説のような小説の装置にもなっています。
 また、「我々は、その犠牲としてみんな此の淋しみを味はなくてはならないでせう。」(四十一ぺージ)とあるように、ここには、現代(明治時 代)、すなわち先生の生きていた時代という意味で、近代の時代に生きる人間が「自由」と「独立」の代わりに、孤独を宿命付けられている事が分かります。先 生が何回も繰返す寂しさやさみしさとは、近代人の孤独な心の世界(内面)を意味しているのです。また、人生を深く生きようとする姿勢、それが「下」で「明 治の精神」となる生きる姿勢が描かれているのです。
 「いざという間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです。」(七十九ぺージ)とあるように、先生は人が信 用出来なくなって、人間のエゴイズムに苦しむ心がここでで明示されています。だから、人と会う事を拒み、嫌うのです。また、田舎に住む人間と都会に住む人 間とをここで対比させているのです。それは先生も私も都会人種としての共通点があるからです。
 「訐くといふ言葉が、突然恐ろしい響きを以て、私の耳を打つた。私は今私の前に座つてゐるのが、一人の罪人であつて、不断から尊敬してゐる先 生でないやうな気がした。先生の顔は蒼かつた。」・「もし私の命が真面目なものなら、私の今いつた事も真面目です。」・「話しませう。私の過去を残らず、 あなたに話して上げませう。」(八十八ぺージ)とあるように、ここにおいて、先生と私の命と命の約束が成立しました。その約束とは、先生の過去を通して真 面目に、即ち真剣に人生から教訓を受けるものでした。
 「中」・「両親と私」について述べてみます。「学問をさせると人間が兎角理屈つぽくなつて不可ない」(一一一ぺージ)・「あまりに距離の懸隔 の甚だしい父と母の前に黙念してゐた。」(一一九ぺージ)とあるように、ここで明らかにされていることは、田舎で生きている私の両親の考え方と私の考え方 とが全く異なって表現されています。ここから読み取れることは、「都会人種」である「先生」と「私」において、田舎の両親が抱く、大学や学問(教養)に対 する意識や考え方が全く異なっていることがわかります。私の心は知識人である先生に、近いものがあります。
 「あゝ、あゝ、天使様もとう/\御かくれになる。己も……」(一一六ぺージ)とあるように、明治という時代の終わりが大きな衝撃(田舎にまで 伝わるほどの重大事件)だったという事を、父を通して表現されておりす。「乃木大将の死んだ時」・「大変だ大変だと云つた。」(一三五ぺージ)ここには、 明治天皇の崩御(お亡くなり)により、一つの時代が終ったという事を意味し、乃木大将は、天皇の後を追い自殺をする。その衝撃が田舎にまで、ショックを与 えたという事がここで証明されています。
 『こころ』の「下」で重要な事は、語り手が私から先生に変わったという点です。また、世間とも繋りもない孤独な人間であると云う事を、「義務 といふ程の義務は、自分の左右前後を見廻しても、どの方角にも根を張つておりません。」(一五六ぺージ)と作品で、説明しているところです。
 「たゞ貴方丈に、私の過去を物語りたいのです。」(一五七ぺージ)ここには、人間の罪・エゴイズムの働きを悟って、私だけに伝えようとする先生の純粋(率直)な姿が表現されています。
 「私は暗い人生の陰を遠慮なくあなたの頭のうえに投げかけて上げます。」(一五七ぺージ)ここには、先生が歩んできた暗い過去を私に教訓とし て伝えようとしている重要な箇所です。また、「私は今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです。私の鼓動が止まっ たとき、あなたの胸に新しい命が宿ることができるなら満足です。」(一五八ぺージ)とあるように、小説『こころ』の大きな枠組が提示されました。すなわ ち、先生の過去が新しい命として若い私に、手紙という語りを通して伝えられたのです。言い換えると、先生の過去即ち暗い人生の影であり、明治を生きた「知 識人の心」が手紙という語りによって伝達されたのです。
 しかし、同時に先生の語りの中には、先生だけではなく、Kと若き日の先生の事件が大きな意味を持ち、明治の精神を語っていることが読み取れる 仕掛になっています。また、「常に精進といふ言葉を使ひました。」(二〇一ぺージ)・「意志の力を養つて強い人になるのが自分の考」(二一〇ぺージ)とあ る様に、Kの精神的強さ「精進」「意志の力」が強調されています。さらに、「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」というこの言葉は、明治を生きた知識人の 一つの姿勢を示すとともに小説『こころ』のキーワードとなっています。
 また、下宿のお嬢さんを好きになったKは「理想と現実の間にふらふらしていた」のでした。若かった先生はKに対して、「精神的向上心のないも のは馬鹿だ」(二三一ぺージ)と言い放ち、残酷な言葉を投げ付けたのです。そして、Kはだんだん追い詰められていきました。「間の襖が二尺ばかり開いて、 其所にKの黒い影が立つてゐます。」・「私は黒い影法師のやうなKに向つて、何か用かと聞きました。」(二六四ぺージ)ここで、最も大事な言葉は、Kの黒 い影、黒い影法師です。若い先生はまだ、この時は気が付かなかったのですがKは既に自殺を決意していました。Kは、若い先生の名前を呼びました。間の襖が 二尺ばかり開いたが、Kの顔色は見えず、ただもう寝たかとだけ言ったのでした。「もしKと私がたつた二人曠野のまん中にでも立つてゐたならば、私は屹度良 心の命令に従つて、その場で彼に謝罪したらうと思ひます。然し奥には人がゐます。私の自然はすぐ其所で食い留められてしまつたのです。さうして悲しい事に 永久に復活しなかつたのです。」(二七二ぺージ)とある様に、下宿のお嬢さんを手に入れる為に友人を裏切り、追い詰めてしまった若い先生の良心は、永久に 復活しませんでした。そして、Kは自殺してしまうのです。
 「もう取り返しが付かないといふ黒い光が、私の未来を貫ぬいて、一瞬間に私の前に横はる全生涯を物凄く照らしました。」(二七七ぺージ)とあ る様に、Kの自殺は、黒い光として、先生の生涯を貫くものとなっていきました。それは、「上」で先生が若い私に語った言葉「平生は、皆善人なんです。いざ という間際に、急に悪人に変わる」という言葉と結び付くものでした。それは同時に小説の重要な仕掛であり、小説の装置とも成っています。
 先生は、Kを死に至らしめたという罪の意識を抱いて、生き続けていました。それが同時に、知識人としての先生自身の生き方でもあったのです。また、先生は、妻には何も教えずに若い私だけに告白をしてくれたのでした。
 「そうして又慄としたのです。私もKの歩いた路を、Kと同じように廻っている」(二九一ぺージ)とある様に、自分の罪を深く問い詰めるのでし た。罪の意識を抱きながら、Kの黒い影を背負って生き続けた先生はこの深い認識に達したのです。それは、明治の知識人が背負っている明治の精神に他ならな いのです。言い換えるならば、たった一人で淋しくって仕方がないという心の世界でした。さらに、先生は妻を愛していました。愛していながらも、人間の孤独 を背負い続け明治の精神を生きたのが先生でした。また、先生は、親友を裏切った罪により、妻を本当に愛すことができなかったのです。それは、過去に於ける 罪の意識からでした。「自分で自分を殺すべきだといふ考えが起こります。私は仕方がないから、死んだ気で生きて行かうと決心しました。」(二九四ぺージ) では、先生は死んだ気で生きていこうと努力(決心)していました。
 「記憶して下さい。私はこんなふうにして生きてきたのです。」(二九六ぺージ)とある様に、私の後にはいつも黒い影がくっついていました。こ の黒い影こそ、Kの死であり、明治の知識人の孤独な精神を象徴するものだったのです。先生は、自分の人生を若い私に記憶として、命を伝えてくれたのです。 だから、何時か死のうとしていた先生は悪までもそのきっかけを待っていたに過ぎません。先生は、明治の時代の終と共に先生はこの世を去りました。明治の精 神に殉死するとは、Kの黒い影、明治の知識人の孤独を葬る、先生らしい自己処罰でした。ですから、明治天皇の死去や乃木大将の殉死はほんの小さなきっかけ にしか過ぎませんでした。
 先生は、この世を去っても先生の秘密は人生の真面目な教訓として、妻に秘密にされたまま若い私に生かされていくことになりました。それが若い 私に命として受継がれた、明治の知識人の心でもあり、小説『こころ』全体の語りでもあったのです。また、明治という時代に生きた知識人は、時代社会に一種 強烈な使命感を持って生きていたということも読み取れます。
 三好行雄氏は、明治の精神を先生の自己処罰として捉え、先生とKを明治の精神の体現者として述べていました。
 小森陽一氏は、『こころ』の「上」・「中」・「下」の三つの部分は再び「上」に戻ると述べ、重層的な円環の読みを主張しました。この僕の研究発表は小森陽一氏の説を出発点にして考察を進めてきたものです。
 『こころ』の「下」・「先生と遺書」では、先生と若い私との命と命の約束として、先生の過去、即ちKの自殺、人間の罪=エゴイズムが語られて います。『こころ』の「上」でも、「恋は罪悪です」と語られ事になるのです。私と先生とは精神的な親子関係(精神的恋人同士)となって、人生の深い意味 (教訓)を教えてもらうという仕掛け(装置)になっています。そしてそれは、先生とKを繋ぐその時代の精神、つまり、「精進」・「向上心」といった「明治 の精神」を伝えるものであったのです。遺書を通して、先生は若い私に血を浴びせかける様にして、「明治の精神」即ち、ある時代の命を伝え残して行ったので す。
 若い私は、次の時代(新しい時代)を生きる知識人として、明治の知識人である先生から「明治の精神」を受継いで、次の時代をどう生きて行くか を背負わされていきました。それが『こころ』であったのです。先生は、明治と共にこの世を去って(自殺して)行きました。Kの自殺は、人間のエゴイズム、 さみしさ、孤独、黒い影を意味するものとして、その後の先生の人生を支配していました。次の時代をどう生きるべきかという深い問いが投げ掛けられているの です。
 先生・私・K・遺書の語り手、これらはすべて一つの時代の精神を書き残すための重要な要素として作られたものでした。
 
参考文献
○桶谷秀昭著『増補版夏目漱石論』河書房新社 一九八三年六月発行
○瀬沼茂樹著『夏目漱石』東京大学出版会 一九七六年五月発行
○江藤淳著『夏目漱石』勁草書房 一九六九年一月発行
○佐藤泰正著『夏目漱石論』筑摩書房 一九八六年十一月発行
○『三好行雄著作集第二巻 森鷗外・夏目漱石』筑摩書房 一九九三年四月発行
○小森陽一著『文体としての物語』筑摩書房 一九八八年四月発行